ふと・・・
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スポーツ選手であれば誰しもが経験する、苦悩と挫折。
そして一部の選手にのみ許された「栄光の大舞台での活躍」と、その「名誉」。
しかしどんな選手であっても、確実に通過するターニングポイント。
そう、それは「引退」という二文字です。
自分自身が競技に打ち込み、競技力を向上させることを優先的にする現役。
その現役を何かしらの理由により退き、次の世代へとその座を譲るという瞬間です。
さて、前置きが長くなりました。
自分、粕尾将一にもこの二文字が突き刺さる時期が近づいてきました。
今回はこの「引退」について書いてみようと思います。
引退とは時に、有名選手の場合は記者会見という形でそれを世間に知らせることが多いです。
最近の話題では、柔道の井上康生選手がその一人です。
井上選手は一時、名声を欲しいままに輝かしい経歴を残しました。
そして誰もが知るオリンピックでの金メダリストになりました。
しかし今回の全日本大会では途中敗退となり、残念ながら代表選手に選ばれることはありませんんでした。
結果として北京五輪への夢はついえてしまい、引退を決意したのでしょう。
それでも井上選手の偉大なる功績は揺るぎないものであり、将来まで語り継がれることは間違いないでしょう。
また、まだ正式に引退とは発表されていませんが、高橋尚子選手。
高橋選手もまた、井上選手と同じ偉大なる功績を残した選手の一人です。
このようなトップ選手の場合は、人には言えない理由も含め「勝てなくなってしまった」が非常に大きな意味を占めているのではないかと思います。
上記の2名にしても、北京五輪の代表を逃してしまったことと年齢が大きな理由だったと自分は認識しています。
他にも色々な理由はあったのかも知れませんが。
そして話を移して自分の場合。
正直な話、粕尾将一の競技力は今のところどの程度なのでしょうか。
それは自分自身でもよく分かりません。
客観的な評価を見るには大会の成績を見るのが一番良いですが、競技がまだ未熟と言うこともあり曖昧。
世界的に見れば全くと言っていいほど、まだまだ手が届かないレベルですが。
しかし、この競技が未熟という点にも、自分の引退は大きく関わっています。
『競技力を向上させることに専念していて、果たして粕尾将一は良いのか?』
このフレーズに、全てが含まれています。
「パフォーマンスとしてのなわとび」と「競技としてのなわとび」は違います。
どちらが上で、どちらが下とかではありません。
しかし競技は、限りなく限界への挑戦のためのパワー配分が要求されます。
さらに個人戦で4種目という過酷な競技特性上、その練習はまさに熾烈を極めます。
この限界に挑戦することに、そろそろ区切りを付けたいと思いました。
自分の中での気持ちの移行・・・
「競技ではなくパフォーマンスとしてなわとびをしたい」という欲求が強くなってきたのです。
ある意味では逃げと取られるかもしれません。
しかし、学業や研究、指導などの片手間にやって行けるほど、世界は甘くありません。
現状でも競技力を維持して伸ばしていくことに躍起になっています。
それでもなかなか伸びないのは、どの競技でも周知のことと思います。
日々の練習の中で少しずつ競技力を伸ばし、僅かずつ成長していく。
この活動は、生活の中で最も大きなウエィトを占めざるを得ません。
しかし理想と現実のギャップ。。。
実際には他の活動も大切にしたい重要な事柄。
特に指導は、自分にとっては最も大切な活動の一つです。
これらの活動と競技の両立に、限界を感じ始めたのもその理由の一つかも知れません。
前々から、何の疑問を持つこともなく練習に打ち込み競技力向上を目指してきました。
しかしある瞬間、おそらくそれは怪我をした時でしょうか。
その時からふとした疑問が心の片隅にわき出てきて、今ではその片隅だった疑問が徐々に膨らんでいています。
今回の世界大会は、もちろん出場を決めている以上全力で打ち込みます。
そのための環境も可能な限り揃えました。
どこまで競技力を伸ばせるかは分かりませんが、気持ちとしては世界一位を狙う気持ちです。
その後、世界大会後にいつ区切りを付けるか。
次の全日本大会かアジア大会か。
少なくとも大学院を卒業した後、第8回の世界大会には出場しないつもりです。
しかし逆に、こうして最終目標を決めておけばダラダラと競技を続けるよりも良いかもしれません。
こんなことを最近は考えていました。