オフにいつもすること
【スポンサードサイト】
今日はオフでした。
久しぶりに朝が遅かったので、なんか変な感覚です。
このシーズン、平均して6:00起きが平均です。
早い時には5時に家を出発することもありますが。
そんな中、昼過ぎまで寝ているのは本当に幸せです(笑)
さて、こんなオフの日にはいろんなことに思惟を巡らせるのが楽しいです。
日々に追われて思考を深められないこともあるので、こんなチャンスは自分に籠ります。
そして時には本を読んだり、テレビを見たりして考えていることをまとめたり。
今日のお題は、なわとびで何を教えるのかでした。
全部だと長いので、一部分だけを要約して・・・。
それでも長文になりますので、ご注意あれ。
結論から言うと、「物事の楽しみ方」を教えるのだなと。
縄跳びってものすごい見た目分かり易い性質です。
一目瞭然で成否がわかってしまう。そのため自分の達成度合いが容易に判断することができます。
そのため努力をした結果が見た目に表れやすい。
逆を言えば、努力をしなければその達成を味わうことができない。
楽しいというのは一時の楽しさではないです。
何かの目標に向かっている瞬間、そしてその目標を今まさに達成しようという状態。
哲学者のアランのいう「幸福論」ってやつですね。
これをなわとびを通じて子どもに伝えていきたいです。
最初は楽しそうから入る。
そして徐々に楽しいだけでは済まない、難しい技に直面する。
その後、最初の楽しさを基盤にして楽しさを追求するように技にチャレンジしていく。
結果として物事を達成していく喜びと幸福を感じることができる。
手前味噌ですが、本気でなわとびに向かい合った事のある子供は分かっているんですね。
そのため何も言わずして、勝手に練習をしています。
そればかりか自ら学ぼうとする「意欲的な学習」が行われる。
気づけばあっという間に上達しています。
小学校1年生で3重跳びを軽々跳ぶ子どもを、見たことがあるでしょうか?
3年生で5重跳びにあと一歩まで来ている子どもを、見たことがあるでしょうか?
縄跳び以外のもの、なんでもいいです。
一つのことに没頭し、達成する喜び。
すぐに出来るものじゃない。達成のためのある苦しみとか大変さ、面倒くささを知ってほしい。
その苦悩があるからこそ、成功や達成の喜びは大きいのだと。
たまたま縄跳びは、自分でも達成が判断しやすいのでいい素材であったのかなと。
自分はこれまで縄跳びそのものの楽しさを教えていくことに集中していました。
確かに楽しさ、一時の娯楽的ななわとびを教えることは簡単でしょう。
即席でできる技を教え、楽しませるだけでその場は楽しんで終わりです。
ところが、先見性をもった楽しさを教えることが本当に出来ていたのでしょうか?
即席的な与えられた受動の楽しみではなく、自らの力で楽しさを追求できる力。
楽しいだけが全てじゃない、辛いこと大変なことがあるからこそ、楽しさがあるのでしょう。
いきなりスポ根みたいなことはしませんが、ちょっと考え方を変えていこうかなと思っています。