粕尾将一、引退します。
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表題のとおりこの度、私粕尾将一は「なわとび競技」を引退することとしました。
これまで数多くの方々、スタッフはじめ審判や運営の役員の方々のお力でさまざまな大会に出場させていただくことが出来ました。
思い返せば第2回のアジア大会に始まり、つい先日の第5回のアジア大会まで、合計で9回の大会に出場しました。
多くの思い出と多くの友人、そしてかけがえのない時間をすごすことが出来て自分は本当に幸せでした。
引退の理由としまして、
○競技力向上の限界
○時間的なパワー配分の意向
○方向性の転換
の3点を挙げられます。
これまで自分は我武者羅に競技力向上をめざし、多くの賞をいただくことが出来ました。
しかし世界的な競技力の向上に自分自身の技能およびモチベーションが付いていかないギャップを、2007年世界選手権以降以降感じておりました。
決して戦えない相手ではない、その思いだけで無我夢中に練習をする日々を続けました。
諦めたくはない、逃げたくはない気持ちは心に常に持っています。
しかしそれを自分の体を使って行うには、時間的な余裕が失われてきました。
学業、研究、なわとび教室、パフォーマンス・・・
自分にとって優先させた事項、その気持ちの変化が2007年をきっかけに、大きく動き出したのです。
【競技をやめることは逃げることだ】
そんな強迫観念と共に、なわとび選手粕尾将一には『負け』が許されませんでした。
自己のプライドがそれを許さなかったのです。
裏を返せば、常に大会で優勝することで自分自身のアイデンティを保つことしか出来なかった。
負けることへの恐怖、周りの競技力の向上に伴う自己への気持ちのギャップ。
耐えられなくなりました。
しかし、完全になわとび競技から離れていくというわけではもちろんありません。
これからは日本をアジアはもとい、世界クラスの競技力を持った国へと引き上げる立場になろうともいます。
【コーチ】というのがもっともシックリくる第二のなわとび人生を迎える粕尾将一です。
これまで培ってきたノウハウ、自己を追い詰めることで得てきた経験則とそのトレーニング方法。
すべてを集約し、後世へと伝承していく。
これがこそが、自分なりのなわとび競技への恩返しだとも考えています。
また、競技者としての立場ではなく、運営としての立場として大会に関わることも考えています。
後世の選手たちに、まだ見ぬ広いなわとびの世界を伝承していくために。
いつ辞めるかがスポーツ選手の落とし所と言いますが、自分の落としどころは【今】です。
次世代を担うなわとび選手たちへ。
これからのなわとび競技は戦国時代を迎えます。
君たちにとってこの環境は良いとも悪いとも言えるでしょう。
しかし一つ言える事があります。
『どんな時でも、どんな時代でも、上手な選手ほど練習が必要。』
上手な選手は難易度の高い技をします。難易度の高い技はリスクが高いのでよく失敗します。
普通の選手はあまり難しい技をしません。そのためあまり失敗をしません。
いくらやっても失敗する、それは君たちが成長しつつある証拠です。
そこを乗り越え、自分のレベルに合った練習量をこなした時。
そのときこそ、君たちに結果が自ずと付いてくることでしょう。
だから、上手な人は上手な分だけ練習をしなければいけないのです。
【日本チャンピオン】になりたければそれだけの練習量を。
【アジアチャンピオン】になりたければそれだけの練習量を。
このような形で競技の第一線を退きますが、気持ちに余裕がある分だけ競技を続けたいと思います。
それはトップを狙うのではなく、生涯スポーツの一つとしてのなわとび競技として。
勝ち負けではない、出来る範囲での【対自分】への戦いです。
それでは、これまで粕尾将一を支えてくださった皆様、本当にありがとうございました。
そして今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2009年7月28日 粕尾将一